真田家 Sanada family

真田家

上田城跡公園

真田 幸村(信繁)とは

肖像画:真田幸村 「上田市立博物館所蔵」
画像:真田幸村 「上田市立博物館所蔵品」

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男。「真田幸村(さなだ ゆきむら)」の名で広く知られている。

江戸時代初期の大坂の陣で豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、3500の寡兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。

後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となった。

真田家 相関図

真田 幸村(信繁)の生涯

時代

戦国時代 – 江戸時代初期

生誕

永禄10年(1567年)
※生年は没年齢の49歳から逆算されたもので、月日は不明。
一説に永禄13年2月2日(1570年3月8日)とも。
※『仙台真田系譜』

死没

弁丸(幼名)、真田信繁、好白(法名)

別名

通称:源次郎、幸村、
豊臣信繁、伝心月叟
渾名:日本一の兵

墓所

長野県長野市の長国寺、
京都府京都市の龍安寺塔頭大珠院、
宮城県白石市の田村家墓所、
秋田県由利本荘市の妙慶寺 など

官位

従五位下、左衛門佐

主君

上杉景勝→豊臣秀吉→秀頼

氏族

武藤氏→真田氏、豊臣贈姓

父母

父:真田昌幸
母:宇多頼忠の娘・山手殿(寒松院)異説有

兄弟

信幸(信之)、信勝、昌親ほか

正室:(大谷吉継の娘、姪?)・竹林院
側室:豊臣秀次の娘・隆清院、堀田興重の娘、高梨内記の娘

阿菊(石合重定室)、於市、 阿梅(片倉重長後室)、
あくり(蒲生郷喜室)、幸昌、なほ(御田姫、岩城宣隆室)、
阿昌蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)、
守信、幸信、之親、瓢左衛門

真田三代の略年表

元号 西暦 出来事
永正 10年 1513年 真田幸隆誕生
天文 10年 1541年 海野平の合戦
16年 1547年 真田昌幸誕生
17年 1548年 上田原の合戦
19年 1550年 砥石崩れ
20年 1551年 幸隆、砥石城攻略
22年 1553年 第一次川中島合戦 昌幸、甲府へ
永禄 4年 1561年 第四次川中島合戦
6年 1563年 幸隆ら岩櫃城攻略
9年 1566年 真田信幸(信之)誕生
10年 1567年 真田幸村誕生
元亀 3年 1572年 三方ヶ原の合戦
天正 1年 1573年 武田信玄没
2年 1574年 真田幸隆没 信綱、真田家を継ぐ
3年 1575年 信綱、昌輝、長篠の合戦で戦死
昌幸、真田家を継ぐ
8年 1580年 昌幸、沼田城攻略
10年 1582年 武田家滅亡 天正壬午の乱、勃発
11年 1583年 昌幸、上田城築城を開始
13年 1585年 第一次上田合戦 幸村、上杉家の人質に
18年 1590年 小田原攻め
慶長 5年 1600年 第二次上田合戦 関ヶ原合戦
6年 1601年 幸村の嫡男 幸昌(大助)誕生
16年 1611年 真田昌幸没
19年 1614年 大阪冬の陣
20年 1615年 大阪夏の陣 真田幸村没